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       110年の交流史



外交関係の樹立と二国間交流史


1899年(明治32年)6月、牧野伸顕特命全権公使がアテネを訪問し、ロマノス・ギリシャ王国外務大臣との間で修好通商航海条約を締結し、日本とギリシャの外交関係が始まりました。以来、両国は、第二次世界大戦時の外交関係断絶などを経験しつつも(サンフランシスコ講和条約締結後、外交関係が復活)、様々な歴史を乗り越えて友好的な関係を培ってきました。

第二次大戦後の二国間関係において特記すべきは、両国の「海」を通じた交流があげられます。両国は、地理的には離れていますが、双方とも世界屈指の海運国であり、戦後は、多くのギリシャ船舶が日本に寄港するようになるとともに、日本の造船業とギリシャの海運業の密接な関係も構築されていきました。


現在の二国間関係

日本とギリシャは、1999年に修好100周年を記念し、二国間の交流を促進し、相互理解を深めていくために様々な記念事業を開催しました。こうした事業成果もあり、1999年以降、二国間関係は4度の首脳交流など、これまでにないほどの盛り上がりを見せました。

特に、2002年に行われた小泉総理とシミティス首相の首脳会談後には「日本・ギリシャ共同行動計画」が作成、署名され、両国は、同計画の中で政治、経済、文化面におい てさらに二国間関係を強化していくための決意を確認しました。

同共同行動計画においても言及された2004年の「ギリシャにおける日本月間」では、蜷川幸夫氏がアクロポリス麓のイロディオ劇場で「オイディプス」を演じるなど様々な文化行事が行われました。


日本とギリシャの“こぼれ話”


● 20世紀初め、日清、日露戦争における日本の戦いぶりに感銘を受けたとされるギリシャの政治家たちが議会内に「日本党」(Team of Japanese)という政治グループを結成しました。同党は、結成後まもなく解散しましたが、同党出身者からはギリシャ首相を複数輩出するなど、影響力のある政治家たちのグループであったとされています。

● 「怪談」等で知られる作家、小泉八雲はギリシャのレフカダ島の出身です。同人の英語名ラフカディオ・ハーンは、彼の出生地であるレフカダから名付けられました。レフカダ島と小泉八雲が逝去した新宿区は平成元年に姉妹都市となりました。

● 両国が外交関係を樹立する以前の1891年、ゲオルギオス・ギリシャ王国王子が来日しました。同王子は、ロシア皇太子ニコライに付き添い訪日していましたが、ニコライが日本において暴徒に襲われた際(大津事件)、ゲオルギオスが暴徒を引き払い、ニコライは軽傷で済んだと言われています。


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