今回は、日本の文学作品を日本語からギリシャ語に訳す希少な翻訳家としてギリシャで活躍されているマリア・アルギラキさんです。日本滞在経験があり、日本語観光ガイドでもあるマリアさんは、宮沢賢治や池澤夏樹の作品をはじめ、近年では、村上春樹の数々の作品を手掛けています。日本語、日本文化に造詣の深いマリアさんに翻訳に関するお話を伺いました。

これまで色々な作品を訳されていますが、日本語をギリシャ語に訳す上で一番難しいと感じる点、日本語とギリシャ語の違いについてお聞かせ下さい。また、一番気をつけていることは何ですか。
日本語をどの言語に翻訳する場合にも、共通する基本的な難しさがあります。その難しさとは、専門家にとっては特段変わったことではありませんが、日本語を知らない人には目新しいことです。1つ目には、漢字の解読です。例えば、ギリシャ語の「άγαλμα(彫像)」に相当する日本語は「目の保養」という意味などまったくなく、英語のstatueのように意味を想起できるものでもなく、「彫刻」です。つまり、彫って刻んだものということになります。対象物を参照すれば、語源的アプローチの違いは容易に克服できますが、感情や造語表現のレベルでは、最終的な翻訳原稿にぴったりと来る言葉をみつけるのに影響を及ぼすかもしれません。
一番の苦労は辞書で一つの単語を見つけるのにも膨大な時間がかかることです。ゆうに20分以上かかる作業です。加えて、専門的な日本語-ギリシャ語辞典が事実上存在しないため、いつも別の言語を介して解釈せざるをえません。多くの場合それは英語ですが。
次の難しさは、文の構成にあります。日本語の文ではさまざまな副次的な修飾語などの後、動詞が最後に来るので、翻訳に当たっては文全体を再構成する必要があるのです。また同時に、一貫して非常に曖昧な傾向があります。何かの出来事が起きるのは必ずしも誰かがそれを引き起こしたからではなく、ただ単にそういう状況があるのです。「雨が降っている」とか「雪が降っている」というのと同じように。
非文学的文章の場合に多いのですが、文の展開を再構成することが必要になります。例えば、ギリシャ語では重要な点をまず最初に挙げ、話の論点がどこにあるのかがわかるようにしますが、日本語の文章では重要なことが最後まで大切そうに取って置かれます。段落を読み進むに従って最終結果に近づいていく期待感をもたせ、途中で番狂わせがあってはならないのです。日本人読者はそれで殊更問題は無いようです。
もう一つの難しさは書き方の方向にあります。日本の本は、ギリシャの本でいえば最後のページから始まり、最初のページに向かって逆に読み進んでいきます。そして、文章は縦書きで、ページの右上から始まり、左方向へと進みます。日本語には冠詞、名詞・形容詞等の性別、活用、単数・複数の別などが存在しないため、名詞を繰り返すことが容認されているということもあり、翻訳をしていてギリシャ語の文章から日本語の文章に目を移した時、読むべき箇所を間違えてしまうこともありがちです。
特に印象に残っている作品はありますか。
ギリシャ現代美術についてあえて予備知識を持たずに訪問しましたが、マケドニア現代美術館のように、通り一辺倒の美術史に従うのではなく、自分達の目と価値観で選んだ有名・無名な寄付作品をきめ細かく展示している美術館があることに驚きました。「未来への回路」と相前後して開催される別の展示会の準備をしているアーティストとも話しましたが、最先端の企画にも果敢に挑戦している姿は興味深いものでした。
宮沢賢治(1896-1933)の「よだかの星」です。4~5ページの寓話で、1999年にオルコス社(Ολκός)から出版された宮沢賢治の作品集のタイトルでもあります。この物語はギリシャ悲劇の明快な構造と宮沢作品のその他の特徴-寓話、イソップ物語、アンデルセン物語、公正さへの衝撃的な感覚、命と自然の間の相互作用-が結びついたものになっています。存在の神聖な普遍性を伝えています。そこでは、人々が再び幸福になれるよう、誠実な努力を通して痛みは光と喜びに変わるのです。
村上春樹の作品は独特な世界観で世界中の読者を魅了していますが、翻訳されていてどのような感想をお持ちですか。
村上春樹の文章には、なめらかな筆致のための疲れ知らずで頑固なまでのこだわり、そして読者への象徴的な気遣いを感じました。彼が描写する状況はあまり身近な感じではないことが多いかもしれませんが、友人たちに他愛ない話をしているような、楽しく理解できるやり方で表現しています。文は短く、段落の切れ目がはっきりしていて、会話とナレーションが交互にあり、ユーモアがそこここにちりばめられています。日本語もギリシャ語も長い間に渡り、書き言葉ではなく、口頭で語り継がれていた言語だという経緯があります。私自身が日本語と出会った最初の頃はほとんど話し言葉でのやり取りだったのは運がよかったと思っています。というのも、村上作品はほとんど「しゃべり口調」なのです。また、私は村上とだいたい同年代で、1970年代に日本に住んでいたものですから、村上作品に登場し、あるいは彼の発想の元となっている風俗習慣、場所、出来事などを実体験として知っているのも幸運でした。
今後、どのような作品を翻訳してみたいですか。
翻訳したい作品はたくさんあります。
「雨天炎天」全2巻(1990年)第1巻: ギリシャ篇: アトス-神様のリアル・ワールド 第2巻 トルコ篇: チャイと兵隊と羊。 村上春樹・文、松村映三・写真
「ギリシャの誘惑」(1987)と「静かな大地」(2007) 池澤夏樹
「異端の仏たち」(1977) 棚橋一晃
「シルクロード詩篇」(1985) 草野心平
限られた時間の中で生きているので、私が翻訳するのはもう無理です。もはや私の希望は次世代の翻訳者たちに託すしかありません!
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2014年 村上春樹 『色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年 (Ο άχρωμος Τσουκούρου Ταζάκι και τα χρόνια του προσκυνήματός του) 』 (出版社Psichogios)
2013年 村上春樹 『アフターダーク (Τις μικρές ώρες)』 (出版社Psichogios)
2012・13年 村上春樹 『1Q84』 Book 1-3 (出版社Psichogios)
2003年 池澤夏樹 『イラクの小さな橋を渡って (Από ένα μικρό γεφύρι στο Ιράκ) 』 (出版社Olkos)
2001年 宮沢賢治 『銀河鉄道の夜、他短編 (Μια νύχτα στον σιδηρόδρομο του γαλαξία)』 (出版社Olkos)
*国際交流基金 出版助成プログラム
2001年 宮沢賢治 『よだかの星、他短編 (Το άστρο του νυχτογέρκακου) 』 (出版社Olkos)