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      ギリシャ情報

ギリシャには、ユネスコの世界遺産リスト (http://whc.unesco.org/en/list/) に登録されている古代遺跡や歴史的建造物が19ヵ所あります。


1986年登録 ヴァッセ (ペロポネソス半島西部のアポロン・エピクリオス神殿)

ドーリス、イオニア、コリントの3つの建築様式すべてが使われているユニークな神殿。パルテノン神殿の建築家イクティノスによるもので、紀元前420年頃に建造された。地元で産出される石灰岩が使われ、ギリシャ神殿の中でも保存状態の良い神殿として知られている。

この神殿は、フィガレイア人をペストから救ったアポロン・エピクリオスに感謝して捧げられたものである。内部にはギリシャ人とアマゾン族、ラピタイ人とケンタウロス族の戦いをモチーフにしたフリーズが飾られていたが、現在はロンドンの大英博物館で展示されている。 また、現在、補修作業のため、神殿全体がテントで覆われているが見学は可能である。

1987年登録 アテネのアクロポリス

アクロポリスとは 「高い丘の上の都市」 を意味し、古代には神殿が建てられた聖域と都市国家防衛の要塞として二重の役割を果たしていた。アテネのアクロポリスは、海抜約150メートルに位置し、現在丘の上には 「プロピュライア」 と呼ばれる前門、勝利の女神を奉ったといわれる 「ニケの神殿」、女神アテネに捧げられた 「パルテノン神殿」、6人の乙女の像を柱にした 「エレクティオン神殿」 などが残っている。これらの建物は、古代ギリシャの全盛期であった紀元前5世紀に、将軍ペリクレスの命令によって、アテネの北東にあるペンデリス山より切り出された白大理石を使って建てられた。アクロポリスを象徴する 「パルテノン神殿」 の中にはフィディアスの作品である高さ12メートルの黄金と象牙でできたアテネ像が安置されていたと言われているが、現在その姿を見ることは出来ない。

1987年登録 デルフィの古代遺跡

古代よりデルフィは世界の中心 「大地のへそ ( オンファロス )」 いう神話に基づく。 また、デルフィは紀元前2000年頃からは地母神ガイアが神託を行う聖地であったが、アポロン神がこれに取って代わり、その神託の重要性がさらに増した。神託を受けに、ギリシャ各地のポリスや植民地からこぞって人々が訪れ、彼らから寄贈された奉納品で潤った。紀元前6世紀初頭には第一次神聖戦争によって独立を保証され、12の都市から構成されるアンフィクティオン同盟の宗教的な中心となった。しかし、381年ビザンチン皇帝テオドシウス帝が発した異教禁止令により、デルフィの神域は閉鎖され、その歴史に幕を閉じた。

1988年登録 アトス山 (ギリシャ北部ハルキディキ半島東端)

ギリシャ正教の聖山であるアトス山は、古くより聖地として崇められ、修道僧や隠遁者が引きこもっていた。963年に最古の修道院メジスティ・ラヴラが建てられた後、次々と修道院が建てられた。最盛期には40の修道院に4万人の修道僧を数えた。現在では20の修道院に、約1400人の修道僧が生活している。17のギリシャ正教の他に、ロシア、ブルガリア、セルビアの各正教の3つ修道院が存在する。アトス山は行政の自治が認められており、長老たちによって評議会が開かれている。なお女性、子供の入山は禁止されている。

1988年登録 メテオラ

浸食作用によって形成された標高 500~600m の柱状の岩山が林立し、不思議な景観を成している。11世紀から岩山の頂上に修道院を建てられ、15~16世紀の最盛期には24を数えた修道院も時代とともに衰退していった。現在では、メガロ・メテオロン修道院、ヴァルラアム修道院、アギア・トリアダ修道院、アギオス・ステファノス修道院(尼僧院)、ルサヌー修道院(尼僧院)の5つにのみ修道僧が生活している。

1988年登録 テサロニキの初期キリスト教・ビザンチン様式建造物群

ギリシャ第二の都市であるテッサロニキは、アレキサンダー大王の妹テッサロニケの名にちなんで名付けられ、紀元前315年にその夫カッサンドロスが住みついたことから始まる。世界遺産に指定された建築群は4世紀から15世紀に渡って建造され、ビザンチンの影響を色濃く残している。ロトンダ (円形霊廟) のモザイク、アギオス・ディミトリオス教会、オシオス・ダビッド教会などは初期キリスト教美術の傑作である。

1988年登録 エピダウロスの古代遺跡

古代よりエピダウロスは医神アスクレピオスの神域であった。紀元前6世紀からアスクレピオス信仰が始まり、ギリシャ全土より人々が神託や病の治癒のためにこの地を訪れた。遺跡内には有名な野外劇場の他、アスクレピオスを奉った神殿や患者のための宿泊所、運動施設等がある。特に野外劇場の保存状態は良く、ギリシャ建築の傑作の一つに数えられる。1万4千人収容のこの劇場は、現在でも夏のフェスティバルの会場として使用されている。

1988年登録 ロードス島の中世都市

ロードス島は 1309年から1523年までエルサレムの「聖ヨハネ騎士団」によって支配され、その後イタリアとトルコに支配された。聖ヨハネ騎士団が築いた旧市街は高い城壁に囲まれ、今もなお中世の雰囲気を残している。騎士団長の館、騎士団通り、騎士団の病院 (現在、考古学博物館) 等のゴシック様式の建物が存在する一方で、モスクや公共浴場等のオスマン・トルコの影響を受けた建物も共存している。

1989年登録 ミストラス

1249年にフランク族出身の、モレア ( ペロポネソス半島の別称 ) の王子、ギョーム・ド・ヴィルアルドゥアンによって城塞が築かれたのがミストラスの始まりである。1262年にビザンチン帝国の支配下に入り、14世紀にはモレアのデスポタ(分邦)の首都になった。文化面でも、ギリシャ・ルネサンスの中心地として栄え、1460年にオスマン・トルコに委譲されてからは絹産業が発展した。その後ヴェネチアによって支配されるが、ロシア軍、アルバニア軍、エジプト軍から次々と攻撃を受け、衰退の一途をたどった。1834年にはスパルタ再建の影響で、完全に町は見捨てられ廃墟と化した

1989年登録 オリンピアの古代遺跡

オリンピック発祥の地として有名なオリンピアの地に、紀元前3000年頃から人々が住みついたという。紀元前10世紀頃からゼウス信仰の中心地となり、紀元前776年にはゼウスの神事として第1回のオリンピック競技大会が開催された。神域にはゼウスに捧げられた神殿のほか、ポリスが奉納した宝物殿や競技関連の施設が建てられた。しかし、ローマのテオドシウス帝の勅令により競技大会が禁止され、393年の大会を最後にオリンピアは衰退していった。

1990年登録  デロス島の古代遺跡

神話によれば、デロス島は太陽神アポロと月の女神アルテミスの生誕地で、ギリシャ世界の重要な神域として知られていた。ペルシア戦争後には、アテネを盟主とするデロス同盟の拠点となり、宗教面だけでなく経済的にも発展を遂げた。紀元前166年にローマ人がデロスを自由港と宣言してから、外国人の流入が急増し、結果として貿易がより活発になった。しかし紀元前88年にローマの圧政に反発して起こった戦争によって、打撃を受け、デロスの重要性は失われた。

1990年登録 アテネのダフニ修道院

アテネの西10Km 、アテネとエレフシスを結ぶ 「聖なる道」 の中間に修道院は存在する。古代、アポロンの神域があったところで、地名のダフニはアポロンの聖なる木、月桂樹 (ダフニ) に由来する。最初の修道院が建てられたのは6世紀で、11世紀に再建されている。八角形の大きなドームをもち、教会の平面図がギリシャ十字型 (縦横の長さが同じ) になっている典型的なビザンチン様式である。教会の内部は金色のモザイク画で埋め尽くされ、ドームには16人の預言者に囲まれたキリストが描かれている。

1990年登録 オシオス・ルカス修道院

オシオス・ルカス修道院は、隠修士ルカスによって961年に創設された。連結している二つのビザンチン様式の教会があり、ギリシャの重要な建築の一つである。聖ルカス大教会は11世紀初頭に建てられ、テオトコス教会は10世紀に建てられた。大教会の正面の壁には、クレタの画家ダマスキノス (エル・グレコの師匠であったと言われる) によって描かれた4枚のイコンが飾られていたという。内部はモザイクと大理石で装飾されており、11世紀の宗教美術を代表するものである。地下には聖ルカスの墓所がある。

1990年登録 ヒオス島のネア・モニ修道院

ネア・モニ修道院はダフニ修道院やオシオス・ルカ ス修道院に並ぶビザンチン建築の傑作である。11世紀に皇帝コンスタンティヌス・モノマクが自分の即位を預言した隠修士に感謝の念を表して建造した。長い間、ヒオス島の最も重要な宗教的拠り所であったが、1881年には地震により大きな被害を受けた。現在見ることのできるドームや鐘楼などはその後再建されたものである。修道院内部のモザイク画はその当時の特徴である、簡素で鮮明な描線で描かれている。

* 現在、修復中のため、修道院とモザイクの見学はできないが修道院敷地内にある小さい博物館及びチャペルは訪れることができる。

1992年登録 サモス島のピサゴリオンとヘラ神殿

ピサゴリオンはサモス島の南東に位置する港町で、この島出身の数学者ピタゴラスにちなんでその名が付けられた。町には紀元前5世紀に造られたエウリパリノス・トンネルと呼ばれる全長1350mの地下水路があり、当時の土木技術の高さを今に伝えている。サモスはギリシャ神話の女神ヘラの生誕地として知られ、古くからヘラ信仰があった。紀元前6世紀から建築が始まったイオニア式のヘラ神殿は、ヘロドトスによればギリシャで最大の神殿だと言われている。現在は1本の円柱のみが残っている。

1996年登録 ヴェルギナの古代遺跡

ヴェルギナは、古代マケドニア王国の最初の首都あった場所と言われている。重要な遺跡は、モザイクで装飾された小宮殿とマケドニア式墳墓群である。王家の墓の一つは、アレキサンダー大王の父フィリッポス2世のものと考えられており、マケドニア王国紋章入りの黄金の箱など数々の副葬品が出土している。同墓は、他のマケドニア式墳墓とともに、発掘現場である小高い丘の中につくられた博物館内にあり、高価な副葬品とともに見学できる。 

1999年登録 ミケーネとティリンスの古代遺跡

ミケーネとティリンスは、紀元前15世紀から紀元前12世紀まで東地中海世界に影響を及ぼしたミケーネ文明の中心地で、ホメロスの叙事詩 『オッデセイア』、『イリアス』 の中でも描かれている。シュリーマンが発掘を行ったことで有名なミケーネ遺跡の円形墳墓Aから、「アガメムノンの黄金のマスク」 ほか、数々の財宝(アテネ考古学博物館展示)が発見されている。この発見によって、神話の世界と考えられていた出来事が歴史的事実であることを裏付けることになった。その他にも獅子門を始め、アガメムノンが妻クリュタイムネストラに暗殺されたと言われている宮殿跡や、アトレウスの宝庫がある。一方、神話の中でヘラクレスの生誕地と言われているティリンスは、巨石を積み上げた城壁が印象的な遺跡である。

1999年登録 「神学者」聖ヨハネ修道院と黙示録の洞窟があるパトモス島の歴史地区 (ホラ)

パトモスは、キリストの12使徒のひとり、聖ヨハネが黙示録を書いた島として知られている。聖ヨハネは95年にドミティアヌス帝の迫害を受けて、この地に渡ってきた。聖ヨハネが暮らした洞窟には、三位一体を示す3つの天井の裂け目や、頭を休めたという窪みが残っている。11世紀には彼に捧げた修道院が島の高台に建造された。内部は数多くのフレスコ画が飾られており、ビザンチン時代の重要な芸術である。

2007年登録 ケルキラ (コルフ) 島旧市街

イオニア海に浮かぶケルキラ島の首都に広がる旧市街は、8世紀よりアドリア海の交易要衝として栄えた。街に残る3つの要塞は、当時のヴェネチア人の名匠によるもので、ヴェネチアが海上交易の利益をオスマントルコから守るため、4世紀に渡って利用された。旧市街を彩るヴェネチア時代の家並みは、中世の要塞都市の面影を色濃く残している。

 
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